AIエージェントの導入事例が増えている。だが、そのほとんどは「どれだけ速くなったか」「何割削減できたか」という数字で語られる。
もちろん、数字には意味がある。しかし本稿で取り上げたいのは、数字の手前にある構造の話だ。
TOTOと東京エレクトロン。この2社がAIエージェントの導入にあたって行ったことの本質は、業務の自動化ではない。業務プロセスそのものの再設計である。そしてその再設計の過程で、両社は共通してある問いに直面している。
この作業は、誰が担うべきなのか。
1200回のクリックが問いかけていたこと
TOTOのセラミック事業部は、2026年1月、部品の受発注業務にAIエージェントを実装した。UiPathが提供するエージェント技術を採用し、従来1件あたり60分かかっていた処理を約5分にまで短縮したという。
(出所:日経クロステック「TOTOは受発注業務を9割短縮、AIエージェント仕様に業務プロセス定義」2026年2月26日。本稿におけるTOTOの事例に関する事実情報は、特に断りのない限り同記事に基づく)
数字だけを見れば、典型的な効率化の成功談に見える。しかし注目すべきは、その前段にある。
TOTOの受発注業務は、取引先からメールで届く注文や納期変更の依頼を、担当者が基幹システムへ手入力する構造だった。Excelやファイルなどツールも複数にまたがり、1件の受発注に対して約1200回のクリック操作が発生していた。転記ミスや確認漏れのリスクも常に伴っていた。
ここで同社が選んだのは、「この1200クリックをAIにやらせる」というアプローチではなかった。
作業が複雑すぎたため、旧来の業務プロセスのまま人間の作業をAIエージェントに置き換えるのは困難だと判断した。つまり、古いプロセスをそのままAIに渡さなかったのである。
代わりに導入したのが「モデルベース型業務改革サイクル」だ。まずシステムの作業ログや操作履歴から業務フローをグラフで可視化し、滞留が生じるプロセスを特定する。そのうえで、業務プロセス記述の国際標準であるBPMN 2.0を用いて業務をモデル化した。
このモデル化の工程で、TOTOは各タスクの担当主体を三つに分類している。
ルールベースで繰り返し性の高い処理は、ソフトウエアロボットが担う。基幹システムへの在庫照会や登録作業がこれにあたる。
自然言語の理解や情報抽出など判断を要する処理は、AIエージェントに任せる。メール本文や添付資料からの情報抽出、メール文のドラフト作成がその役割だ。
そして、メール文の最終確認や送信は人が行う。
ソフトウエアロボット、AIエージェント、人。この三者の分担は、技術の性能から自動的に導かれたものではない。業務プロセスを一度モデルとして定義し直したうえで、工程ごとに「誰が担うべきか」を設計した結果である。しかし、ここでまだ答えが出ていない問いが一つ残る。それは「その判断の責任は、誰が負うのか」という問いである。
東京エレクトロンが「渡さなかった」もの
東京エレクトロンも同様の構造的再設計に取り組んでいる。同社は調達業務の一部プロセスにAIエージェントを適用し、処理時間の約8割削減を実現したと報じられている。
(出所:日経クロステック 連載「バックオフィス『無人化』への道」2026年2月。本稿における東京エレクトロンの事例に関する事実情報は同連載に基づく)
TOTOと東京エレクトロンに共通するのは、AI活用を前提として業務プロセスを再設計したという点だ。既存の業務フローにAIを「貼り付ける」のではなく、AIが動ける構造を先に設計し、そこに業務を再配置した。
この順序の違いは決定的に重要である。
多くの企業がAI導入で直面する壁は、技術の限界ではない。旧来のプロセスがそもそもAIに渡せる状態になっていないことだ。属人化し、暗黙知に依存し、判断の所在が不明確なまま回っている業務を、そのままAIに手渡しても、AIはどこで止まるべきかを知らない。
東京エレクトロンがAIエージェントに「渡さなかった」のは、作業ではない。判断の曖昧さである。
政府もまた、同じ問いの前に立っている
この「誰が判断するのか」という問いは、企業の業務設計に閉じた話ではない。
2026年2月、政府が3月にもまとめるAI事業者ガイドラインの改定案の概要が明らかになった。自律的に動くAIエージェントや、ロボットを制御するフィジカルAIに対応するものだ。誤作動やプライバシー侵害のリスクを念頭に、開発企業などに対して「人間の判断を必須とする仕組み」づくりを求める内容が盛り込まれるという。
(出所:日本経済新聞「AIエージェントやロボAI『人の判断必須の仕組みを』 政府指針に明記」2026年2月15日付。総務省・経済産業省が2024年に策定した「AI事業者ガイドライン」の更新に関する報道)
注目すべきは、この指針が「AIの性能を制限せよ」と言っているのではない点だ。AIが自律的に動く前提を受け入れたうえで、人間が判断に関与する仕組みを設計せよと求めている。
つまり政府もまた、TOTOや東京エレクトロンと同じ問いの前に立っている。AIの能力をどう使うかではなく、判断という行為をどう設計するか。その問いである。
成功談の奥にある構造
TOTOが目指しているのは、定型作業や付加価値の低い「守り」の業務に携わる人員を限りなくゼロに近づけ、事業の強化や創出につながる「攻め」の業務へ人員を振り向けることだ。いわばバックオフィス業務の無人化計画である。
この方針自体は明快だ。しかし、無人化の裏側には常に一つの問いが残る。
では、判断は誰のものになるのか。
AIエージェントがドラフトを書き、ソフトウエアロボットがデータを登録し、人が確認して送信する。この分担は現時点では合理的に見える。だが、AIの精度が上がり、エージェントの自律性が高まるにつれて、「確認」の意味は変わっていく。形式的な承認になるのか。それとも実質的な判断として機能し続けるのか。
TOTOのセラミック技術部の責任者は、時間削減によって生じる余剰人員の再配置を「今後の検討課題だ」としている(同事業部セラミック技術部・近藤祥部長の発言、前掲・日経クロステック)。この留保は誠実だ。なぜなら、AIが速くなることと、判断の構造が定まることは、まったく別の問題だからである。
「誰が決めるのか」を設計する
BPMNで業務を可視化し、三者の分担を定義する。TOTOのアプローチは優れている。しかし、BPMN上で定義できるのは「誰がそのタスクを実行するか」であって、「誰がその判断に責任を負うか」ではない。
タスクの実行主体と、判断の責任主体は、必ずしも一致しない。
AIエージェントが情報を抽出し、発注案を生成し、メールのドラフトを作成する。人がそれを「確認」して送信する。では、その発注判断の責任は、AIにあるのか。確認した人にあるのか。それとも、このプロセスを設計した人にあるのか。
この問いに答える枠組みが必要だ。
それが Decision Design(判断の設計) である。
Decision Designは、判断という行為そのものを設計対象とする思想だ。
その中心にあるのが Decision Boundary(判断の境界) という概念である。誰が決めるのか。どこまでを任せ、どこからを引き受けるのか。その線を、無自覚のまま放置せず、意図的に設計すること。それがDecision Designである。
以降のパートでは、その構造を具体的に分解する。
詳細版について
本稿は、公開範囲を基に構成したInsynergyの日本語サイト版です。詳細な議論と実装上の考察はnoteの詳細版で解説しています。