はじめに——「雑務がなくなる」ことの、本当の意味
会計・コンサルティング業界の「ビッグ4」——デロイト、PwC、EY、KPMG——が、AIエージェントの本格導入に舵を切っている。
2025年、各社は相次いでエージェント型AIプラットフォームを展開した。デロイトのZora AI、EYのEY.ai、PwCのagent OS、KPMGのWorkbench。いずれも、従来は若手社員が数日から数週間かけていた作業——文書作成、データ照合、品質チェック、要約と提言の作成——を、数秒から数分で処理できる。
この動きに対し、Business Insiderが2026年2月に報じた記事は、ある問いを投げかけた。
「若手社員は、どうやって業務を学ぶのか」
記事は、ビッグ4のリーダーたちがこの問いに明確な答えを持っていないことを率直に伝えている。KPMGのAI人材担当責任者は「エージェントを導入した場合、中核業務のスキルをどう育成するかが課題です」と認め、「私もその答えを100%知っているとは言い切れません」と語った。アメリカ会計学会のCEOは「これが今、最大の課題です。誰も答えを教えてくれません」と述べた。
一見すると、これは「AIが雑務を奪うことで、若手の学びの機会が失われる」という話に見える。だが、本稿ではそうは読まない。
問題の輪郭は、もう少し奥にある。
1. 各社の応答——善意ある施策と、その到達点
記事に登場するビッグ4各社の対応を整理してみよう。
PwC は「単なるタスクではなく『なぜ』を教える」というアプローチを掲げている。人材採用・育成責任者のマーガレット・バーク氏は「基礎スキルは依然として重要」と述べ、新入社員に「4日間のAI集中コース」を課している。AIとの協働方法と人的スキルの活用方法の両方を学ぶ内容だという。
KPMG のクレオバリー氏は、学習パターンそのものを変える必要があると語る。若手社員は、タスクを実行する代わりに、エージェントの出力を分析し、結論がどのように導き出されたかを理解すべきだと。
EY のコンサルティング部門グローバル副会長ガードナー氏は、AIの支援によって「クライアントやステークホルダーの意思決定者との接点がより早く得られるようになる」と述べ、むしろ育成が加速するという見方を示した。
デロイト はスキルギャップに関する具体的な質問には回答していないが、従業員のスキル向上に「積極的に投資している」としている。
こうした各社の発言には、それぞれの合理性がある。「なぜ」を教えること、出力の検証能力を高めること、戦略的な場への早期アクセスを与えること——どれも間違いではない。むしろ、限られた時間の中で打てる手としては、誠実な対応だと思う。
ただ、これらの施策に共通する性質がひとつある。
いずれも、若手が「より良い判断をできるようになる」ための支援——つまり、判断の質を高めるためのアプローチだということだ。知識を与え、思考の方法を示し、分析力を鍛え、より良い問いを立てられるようにする。
この方向性自体は正しい。だが、ここで少し立ち止まって考えたい。
各社の施策は、若手の判断を「支援する」ことに注力している。では、その判断は——どこで行われている、ということになっているのだろうか。
2. 「雑務で学んでいた」という前提を疑う
ビッグ4における従来の育成モデルは、明快だった。若手社員は、膨大な反復作業——スライド作成、データ入力、照合、品質チェック——を通じて、業務の「手触り」を覚えた。記事の言葉を借りれば、「基礎的なスキルと、後にディレクターやパートナーとして指揮を執る業務の背景にある論理的思考力」をそこで身につけた。
この説明は、業界では広く共有されている理解だ。そしてこの理解の背後には、ある暗黙の前提がある。
「反復作業をこなすうちに、意思決定ができるようになる」 という前提だ。
意思決定——Decision Making——という言葉は、ビジネスの文脈で最も頻繁に使われる概念のひとつだろう。経営者もマネージャーも、若手社員も、日々「意思決定をしている」と考えている。そしてその感覚は、間違いとは言えない。実際、ビッグ4の若手社員は日常的に判断を行っていた。
だが、問いたいのは「意思決定が行われていたかどうか」ではない。
その意思決定が、組織の中でどのように発生し、何によって支えられていたか——その構造の方だ。
反復作業が自動的に「判断力」を育てていたかというと、話はそう単純ではない。実際に反復作業が育てていたのは判断力そのものではなく、「判断が必要になる場面に、自然と遭遇する確率」 だったのではないか。
大量のデータを照合する中で、数字が合わない場面に出くわす。スライドを作り直す中で、上位者の思考の「筋」を読み取る。品質チェックで不整合を見つけ、それを報告するか否かを自分で決める。
つまり、雑務そのものが教えていたのではない。雑務の中に、判断を求められる「小さな分岐点」が偶発的に埋め込まれていたのだ。
そして重要なのは、その分岐点がどこにあるかは、組織として明示されていなかったということだ。若手はたしかに意思決定をしていた。だが、その意思決定が「どの場面で」「どの範囲で」行われるべきかは、誰も設計していなかった。偶然の中で判断に出会い、偶然の中で成長していた。
3. AIが「壊した」のは、何か
AIエージェントが反復作業を吸収したとき、消えたのは作業時間だけではない。
作業の中に偶発的に埋め込まれていた「判断の契機」——あの小さな分岐点も一緒に消えた。
記事の中で、専門家が「AIが生成した出力を確認しただけで、深く理解したかのような錯覚に陥る可能性がある」と警告しているのは、まさにこの構造を指している。AIの出力を「レビューする」ことと、その出力に至るまでの過程で「自分なりの判断を経験する」ことは、似ているようで、まったく異なる認知プロセスだ。
KPMGのクレオバリー氏が「エージェントの出力を分析し、結論がどのように導き出されたかを理解する必要がある」と述べているのは正しい。だが、ここにも問いが残る。
出力を分析する力は、どこで身につくのか。
結論の妥当性を判断する基準は、何によって形成されるのか。
もし、その基準自体がこれまで「雑務の中での偶発的な経験」によってしか形成されてこなかったのだとしたら、AIが雑務を引き受けた後に、その基準の形成メカニズムは——どこに行くのか。
4. 「支援の充実」では届かない場所
ここまで読んで、こう思われた方がいるかもしれない。「では、研修を増やせばいいのではないか」「メンタリングを強化すればいいのでは」と。
もちろん、それらは意味のある施策だ。PwCの「4日間のAI集中コース」も、EYの「実践と観察を通じた学び」も、現実的な対応である。
先ほど整理したように、各社の対応は判断の質を高めるための支援として合理的だ。「なぜを教える」ことで思考の土台を与え、「出力を検証させる」ことで批判的思考を促し、「戦略的場面に早期アクセスさせる」ことで視座の拡張を図る。判断者が、より良い判断をできるように助ける——これらは、判断を支援するアプローチとして、現時点でやれることの誠実な到達点だろう。
だが、ここで問いたいのはもう少し根本的なことだ。
これまで、「若手がどの場面で、何の判断を、どの範囲で経験すべきか」を、誰かが設計していたのだろうか。
おそらく答えは「いいえ」だ。それは設計されていたのではなく、結果として起きていた。大量の反復作業の中に偶然埋め込まれた判断機会が、結果として育成を支えていた。
つまり、AIは何かを「壊した」のではない。もともと設計されていなかったものを、偶然支えていた構造を、取り除いたのだ。
だからこの問題は、「AIが若手の学びを奪った」という話ではない。もっと正確に言えば、「かつて設計されていなかった育成構造が、AIの導入によって初めて不在として可視化された」という話だ。
そしてこれは、ビッグ4だけの話ではない。
反復作業の中で若手が「自然に育つ」という暗黙の前提は、日本企業を含むあらゆる組織に存在している。OJTの名のもとに、判断の機会を偶然に委ねてきた組織は、同じ問いに直面することになる。
5. まだ言語化されていない問い
ここまでの議論を整理しよう。
雑務が育成を支えていたのは事実だが、それは「雑務=学び」だったからではなく、雑務の中に偶発的な判断機会が含まれていたからだ。AIエージェントは雑務を引き受けると同時に、その偶発的な判断機会も吸収した。各社の対応——「なぜを教える」「出力を検証させる」「戦略的場面に早期アクセスさせる」——は、いずれも判断の支援として合理的だが、ある問いに答えていない。
その問いとは以下である。
若手は、いつ、どこで、何について「判断している」ことになっているのか。
「なぜを教える」と言ったとき、「なぜ」を理解したかどうかは、どうやって確認されるのか。出力を検証させると言ったとき、その検証が「形式的なチェック」ではなく「自分の判断」になるための条件は何か。戦略的場面への早期アクセスが育成を加速すると言ったとき、その場面で若手が引き受ける判断の「範囲」は、誰が決めているのか。
判断は行われている。そのこと自体を疑っているのではない。
問題は、判断がどこで生まれ、誰がどの範囲で引き受けているのか——その前提構造が曖昧なまま、支援だけが積み上げられていることではないか。
いくら判断の質を高める支援を重ねても、判断の「場所」が定義されていなければ、支援は宙に浮く。若手は意思決定を「している」が、その意思決定がどこに位置づけられ、何に対して行使されているのかが不明瞭なまま、「育成された」ことになってしまう。
ビッグ4のリーダーたちが「答えを持っていない」と率直に認めていることの意味は、ここにある。答えがないのではなく、問いの立て方がまだ定まっていないのだ。
判断を「助ける」のではなく、判断が「どこで、誰によって、どの範囲で行われるか」を定義する——その営みに、まだ名前がついていない。
ここから先は、この「名前のない営み」を言語化するための枠組み——判断の所在を組織として設計すること、そしてその境界線がいま何に脅かされているのか——について掘り下げる。AI時代の育成論を超えて、組織そのものが「判断をどこに、どのように配置するか」という問題の核心に触れることになる。
詳細版について
本稿は、公開範囲を基に構成したInsynergyの日本語サイト版です。詳細な議論と実装上の考察はnoteの詳細版で解説しています。