ある日経記事から始まる、よくある風景
米国企業の大規模レイオフを伝える記事が、日経新聞に載っていた。見出しには「AI活用で人員削減」といった趣旨の言葉が並ぶ。記事そのものは丁寧に書かれている。数字もある。企業名もある。経営者のコメントもある。
読み終えたあと、多くの読者はこう感じるだろう。
——やはり、AIが仕事を奪い始めているのだと。
その感覚は、おそらく間違いではない。少なくとも、完全に間違いだとは言えない。実際に人は減っている。実際にAIの導入は加速している。二つの事実が同時に存在しているのだから、両者をつなげたくなるのは自然なことだ。
ただ、ここで少しだけ立ち止まってみたい。
「人が減っている」ことと、「AIがその仕事を代替した」こととは、同じ出来事だろうか。
数字の手前にあるもの
たとえばAmazonの事例を考えてみる。
同社がここ数年で大幅な人員整理を行ったことは広く知られている。報道ではしばしば「AI投資の加速に伴う構造改革」として語られる。実際、Amazonは生成AIへの投資を急拡大させており、時系列だけを見れば、AI投資と人員削減はほぼ同時期に進行している。
だが、削減された職種の内訳を丁寧に見ていくと、少し違った風景が浮かび上がる。
大きく減っているのは、現場でコードを書くエンジニアや、倉庫で荷物を運ぶオペレーターではない。むしろ目立つのは、プログラムマネージャー、プロジェクトマネージャー、あるいは部門間の調整を担っていたミドル層の人々だ。
つまり、「何かを作る人」や「何かを動かす人」ではなく、「何かを決める過程に関わっていた人」が減っている。
これは奇妙なことだ。AIが最も得意とするのは、パターン認識や文章生成や画像処理であって、「組織の中で誰が何を決めるか」を整理することではない。にもかかわらず、減っているのは判断や調整に関わるポジションなのだ。
ここに、少しだけ違和感がある。
「いなくなっても回る」という発見
組織の中で、ある役職が削減されたとする。その結果、業務が止まったなら、それは明らかに必要な役割だったということになる。
では、削減しても業務が止まらなかった場合はどうか。
二つの可能性がある。一つは、AIがその業務を本当に代替したという解釈。もう一つは、そもそもその業務が——あるいはその役割が——すでに実質的な機能を失っていたという解釈だ。
後者の可能性について、あまり語られることがない。
大企業が成長し、組織が複雑になるにつれて、「何をしているのかよくわからないが、いないと不安な人」が増えていく。会議を設定する人。承認フローを管理する人。部門間の認識を揃える人。決まらない会議を次の会議につなげていた人。彼らの仕事は、組織図の上では明確に見える。しかし、「その人がいなくなったとき、誰が何を決められなくなるのか」と問われると、答えに窮することがある。
これはその人たちの能力の問題ではない。組織が、判断の所在をあいまいにしたまま拡大してきた結果として、そうした「浮遊する役割」が自然発生してきたのだ。
AIの登場は、この構造に光を当てた。ただし、光を当てたのであって、原因をつくったわけではない。
因果の矢印を、もう一度見る
ここまで読んで、こう感じた方もいるかもしれない。
——では、リストラの本当の原因は何なのか。AIではないとしたら、何が人を減らしているのか。
その問いに対して、「AIは無関係だ」と言うつもりはない。AIは確かに引き金の一つにはなっている。しかし、引き金と原因は違う。
銃に弾が込められていなければ、引き金を引いても何も起きない。
問題は、弾がいつ、どのようにして込められたのか、ということだ。そしてその問いに答えるためには、技術の話ではなく、組織の中で「判断」がどのように設計され——あるいは設計されないまま放置され——てきたかを見る必要がある。
表層的な因果関係、つまり「AIが入った→人が減った」という説明は、わかりやすい。わかりやすいがゆえに、それ以上問うことを止めてしまう。
しかし、もう少しだけ深く見ると、そこには組織設計の問題が横たわっている。判断の境界線が引かれていない組織では、AIの導入は「誰を残すか」ではなく「誰がいなくても困らないか」という問いを突きつける。そして、その問いに答えられない組織は、結果として、もっとも説明しやすい物語——「AIによる効率化」——を採用する。
この構造を、もう少し丁寧に見てみたい。
ここから先では、「判断の設計」という視点から、今起きていることの構造を読み解いていきます。AIリストラという物語の裏側にある、組織設計上の本質的な問いについて考察します。
詳細版について
本稿は、公開範囲を基に構成したInsynergyの日本語サイト版です。詳細な議論と実装上の考察はnoteの詳細版で解説しています。