Humanoid Summit Tokyo 2026の会場は、開幕の朝からすでに熱気を帯びていた。米国、中国、韓国、欧州、そして日本。世界中のロボティクス企業の名前がプログラムに並ぶ。
開幕のオープニング・キーノートに立ったのは、大阪大学・ATR石黒浩特別研究所の石黒浩氏。その熱気をそのまま受けて、午前9時15分から始まったセッションが私の前提を揺さぶることになる。登壇したのは、McKinsey & Companyのパートナー、Ani Kelkar氏。講演タイトルは「Humanoid Robots: Crossing the Chasm from Concept to Commercial Reality」──概念から商業的現実へ、その溝をどう越えるか、という問いである。
会場の多くは、AIの最先端を語る話を待っていたはずだ。生成AIの次は身体を持ったAIだ、というあの物語。ところが彼が最初に映したのは、AIのスライドではなかった。西側諸国における製造業の長期的な衰退を示すグラフだった。
「ロボティクスの話をする前に、まず製造業の文脈を共有したい」
その一言を聞いた瞬間から、私の中の前提が少しずつずれ始めた。これは、AIの話ではないかもしれない。
なぜ世界はヒューマノイドに熱狂するのか
ここ数年、ヒューマノイドロボットは一種の社会現象になっている。きっかけが生成AIにあることは、ほぼ疑いようがない。
言葉を理解し、文章を書き、画像を生み出すAIが登場した。次に人々が思い描いたのは、その知能が身体を獲得する未来だ。画面の中にとどまっていた知性が、工場の床を歩き、箱を運び、ネジを締める。いわゆる「フィジカルAI(Physical AI)」という発想であり、その象徴がヒューマノイドロボットだった。
展示会では二足歩行のロボットがダンスを披露し、SNSには滑らかに動く動画が流れる。多くの人にとって、ヒューマノイドの競争とは「どのAIが最も賢いか」という競争に見えている。より高度なモデルを積んだ企業が勝つ、と。
McKinseyの講演は、その理解をいきなり揺さぶってきた。
米国が本当に抱えている問題
Kelkar氏が語った出発点は、AIの性能ではなく、米国の製造業が直面する構造的な問題だった。
数十年にわたり、米国やドイツ、そして日本や韓国でも、経済に占める製造業の比重は下がり続けてきた。その空白を埋めるように成長したのが中国本土である。サプライチェーンを国内に取り戻す「リショアリング」という言葉が政治と経営の両方で語られるのは、この長い後退の裏返しだ。
ただ、それは安くは済まない。McKinseyの試算では、米国が製造業を国内に取り戻すために必要な設備投資は、およそ2兆ドルに達するという。
しかも、お金だけでは解決しない。Kelkar氏が経営者と話すと、出てくるのは決まって労働力の話だという。熟練工、技術者、保全要員、現場を回す人手。これが足りない。求人数が応募者を上回り、倉庫業に至っては、1年間で4割の人が入れ替わる職場もある。採用し、訓練し、ようやく戦力になった頃に辞めてしまい、またゼロからやり直す。
製造業を取り戻したくても、それを担う人がいない。ここにロボットの出番がある、という論理だ。興味深いのは、McKinseyの講演によれば、現在の技術でも労働時間の13%はすでに自動化が可能だという点である。足りないのは能力ではなく、導入し、定着させ、規模を広げる仕組みのほうだった。
日本はロボット大国ではなくなった
ここで、日本人として少し居心地の悪い話が出てくる。
私たちは漠然と、日本をロボット大国だと思っている。産業用ロボットの分野で世界をリードしてきた記憶があるからだ。McKinseyの分析でも、かつての日本は確かにロボット密度の高さで先頭を走っていた。
潮目が変わったのは2014年あたりだという。そこから日本は順位を下げ始め、入れ替わるように中国が台頭する。同じことはドイツやイタリアにも起きていて、自動化の早期導入国がそろって後退している。電気自動車を軸にした巨大なサプライチェーンを築いた中国は、その勢いをそのままヒューマノイドへと持ち込んできた。背後には国家としての産業政策がある。
ただしKelkar氏は、日本を悲観だけでは語らなかった。製造とメカトロニクスの蓄積は今も強い。中国一極への依存を避けたい世界にとって、日本は「チャイナ・プラスワン」の有力な選択肢になりうる──そういう言い方をした。栄光ではなく、機会としての日本。その温度差が印象に残った。
本当に足りないのはAIではない
講演の核心は、ここからだった。
「これはAIだけの問題ではない」とKelkar氏は言い切る。確かに、視覚・言語・動作を統合するVLA(Vision-Language-Actionモデル)や、世界の振る舞いを予測する世界モデルは、目覚ましく進歩している。ロボットにできることは広がり続けている。
それでも、数百万台のヒューマノイドを世界の工場に行き渡らせたいなら、AIだけでは届かない。ロボットを構成するすべての部品が、ケーブル一本に至るまで必要になる。
McKinseyが部品表を分解して調べたのは、どこに成熟した供給網があり、どこに目詰まりがあるか、だった。深刻なボトルネックとして名前が挙がったのが、二つの系統である。物に触れて力を感じ取る触覚・力覚センサーと、関節を精密に動かすアクチュエータ。とりわけハーモニックドライブのような波動歯車装置は、もともと研究規模でしか作られていなかったり、一握りの供給者と地域に集中していたりする。
そして、その集中の中心はやはり中国だ。電気自動車と共通する部品が多いため、EVの量産で築いた基盤がそのままロボットに効いてくる。中国はハーモニックドライブやセンサーの生産能力を急速に立ち上げ、ボトルネックそのものを押さえにいっている。
派手なAIモデルの裏側で、勝負を分けているのは、地味で泥臭い部品とサプライチェーンだった。
デモでは勝てない
だからこそ、とKelkar氏は続けた。この競争はデモでは決まらない。
YouTubeで滑らかに動く映像も、展示会で拍手を浴びるパフォーマンスも、本質ではない。McKinseyの言葉を借りれば、勝敗を分けるのは「現実の産業製品を量産できる能力」である。安全に長時間動き続け、現場で安定して稼働し、CFOが投資判断できる価格に収まるか。供給者を審査し、品質を保ち、リスクを管理する。そうした地味な工業の筋力が、最後にものを言う。
そのうえでKelkar氏は、概念から商業的現実へ渡るために越えるべき四つの橋を挙げた。人と協働できる安全性、長時間の安定稼働、十分な器用さと自律移動、そしてEVのバッテリーがたどったような急激なコスト低下である。どれもAIの賢さとは別の次元の課題だった。
聞き終えて、ひとつの認識が裏返っていた。ヒューマノイドの競争は、AIの競争ではない。それは製造業の、産業の競争なのだ。
ところで、この産業の話を追いかけている最中に、少しだけ毛色の違う動きが視界の隅に入ってくる。政府も、自律的に動くAIエージェントやフィジカルAIに対して、誤作動やプライバシー侵害のリスクを念頭に、人間による適切な監督・介在を確保する仕組みの重要性を示し始めている。日本でも、総務省と経済産業省が示した『AI事業者ガイドライン(第1.2版)』のなかで、人間による適切な監督や介在の重要性がはっきりとうたわれている。
工場に入るのはロボットとセンサーとアクチュエータのはずなのに、なぜ「人間の判断」が制度の言葉として出てくるのか。今はまだ、その小さな違和感だけを覚えておけばいい。
産業競争の、その先にある問い
ここまで読むと、ヒューマノイドロボットの競争は技術競争ではなく産業競争に見える。しかし本当に重要なのは別の問題かもしれない。
もし工場に何千台ものロボットが入り、AIエージェントが生産や物流を管理するようになったとき、企業は何を統治しなければならないのだろうか。
その問いは、ロボットそのものではなく、「判断」に向かっていく。
それが Decision Design(判断の設計)である。Decision Designは、判断という行為そのものを設計対象とする思想だ。その中心にあるのがDecision Boundary(判断の境界)という概念である。
誰が決めるのか。どこまでを任せ、どこからを引き受けるのか。
ヒューマノイドが工場の床を歩き出すとき、本当に問われるのはこの一点だ。次の記事では、McKinseyが示した三つの導入障壁を起点に、企業が管理すべきものがなぜ「ロボット」ではなく「判断」なのかを掘り下げていく。
詳細版について
本稿は、公開範囲を基に構成したInsynergyの日本語サイト版です。詳細な議論と実装上の考察はnoteの詳細版で解説しています。